'シンプルな暮らし'からのロンドン生活                 (旧:子育てと家族育て -シンプルな暮らし-)

日本でシンプルライフを楽しんでいたら、突然ロンドン転勤が決まり、告知から約2ヶ月で全てを清算して移住した話、今5年目。

どうしてブログを読んでしまうのかな

 

今、こうしてブログを使って自己発信をしていますが、

お気に入りのブログを読んで時間をつぶすことも多いです。

 

なぜ「ブログ」がここまで普及したのかな、

なぜスマホを開いてぼけーっと、人のブログをさらり読みするのは楽しいのかな。

 

多分今この世の中には情報とモノがあふれ過ぎていて、

その中で「自分に最適な取捨選択」をしたいために、

人のブログを参考にしているのかも。

自分の感覚にフィットするブロガーさんが愛用していたり、

おすすめしてくれるモノなら自分にも合うだろう。

きっと、今よりも暮らしは充実する。

自分がモノを選ぶ際の、決め手にもなっている。

 

また、ブログだと自分と同じ悩みをかかえている人を簡単に探すことができるし、

読み続けるうちに、まるで旧知の友人のような感覚になってくることもしばしば。

ブログを通じて実際にも知り合うことがごく普通になっている理由もわかります。

 

外出先でふいにできた1人時間には、

スマホを開いてお気に入りのブログを読みたくなることがあります。

でもそんな時に、例えばそばにいる人たちが -

可愛い赤ちゃんを抱っこ紐にいれたお母さんや、

地下鉄の路線図を見ながら迷っているおばあちゃんたちや、

ギャン泣きしてる幼児にため息をついてるお母さんだったりして、

つい自然に、自分から話しかけてしまうこともあります。

スマホで過ごすか、人と接するかって全然違う。

 

「可愛い赤ちゃんですね、いま何ヶ月ですか?」

「路線図の見方、わかりますか?どちらまでおいでですか?」

「あらら、元気に泣いてますね!どうしたのかな??」

と、実際に話しかけること。

スマホの先にある見知らぬ人の、

自分の価値観にフィットしたブログを読んで満足することと、

すぐそこに立っている見知らぬ人に話しかけて、

一瞬のコミュニケーションをはかることとは、自分の視線が全然違う。

 

時には、そばにいる見知らぬ人の方に視線を向けていたいな。

あまりに画面の先ばかりのぞいていると、大事なものを見誤ってしまいそうです。

自分への、注意喚起。

 

結局は、人間の基本的欲求として、

普通に人と出会ってのコミュニケーションを求めるものなのだろう。

どれだけ、AIが進化しても、3Dゲーム機が人気を博しても、

最終的には身近な人とのダイレクトなコミュニケーションが1番人間らしく

そしてシンプルだ。

とは言え、時代の最先端を行く技術を否定していては、この先生きづらい。

受け入れつつ、シンプルな人間らしい暮らしは失いたくないものです。

 

歴史をひもといてみると、どんな国にもその時代に合った、

表現方法や嗜好品や人とのコミュニケーションの形があります。

 

SNSやブログというツールが、この先何十年でどう変化していくのか。

こうやって時々は、

まるで 10年後の自分が、今生きている自分を見下ろしているかのように、

俯瞰してみるのは楽しいです。